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八〇年代の前半は、マネーサプライの増加率は七〜八%で安定し、実質国民所得も物価も安定していた。ところが、八〇年代の半ば以降、マネーサプライの増加率は二桁台に上昇し、ピーク時は二二%に達した。八〇年代前半の経験からすると、日本経済の安定的な成長のために適正と考えられるマネーサプライの増加率は七%程度と考えられるので、この期のマネーサプライの増加率は上方に六ポイント程度逸脱したことになる。二桁台のマネーサプライの増加率は、株価と地価の高騰をもたらした。この高騰は、一つには二桁台のマネーサプライの増加率によってもたらされた金利の低下によるものである。その他の高騰の要因としては、企業収益と個人所得との増大に関する楽観的な期待があげられる。これら二つの要因はファンダメンタルズ(経済の基礎的諸条件)の変化であるから、それに基づく高騰はファンダメンタルズに基づくものである。しかし、この期の株価と地価の高騰には、単に株価や地価が上がったから将来もまた上がるというファンダメンタルズとは全く関係のないバブルの部分が含まれていたと考えられる。地価の高騰は、平均的な勤労者の持ち家取得を困難にするとともに、持てる者と持たざる者との資産格差を大きく拡大させた。二桁台のマネーサプライの増加率は、この期の平成景気をもたらした大きな要因の一つでもあった。
80年代後半には、フューシャピンクという青みがかったピンク色が一世を風靡する。フクシアの花の色からネーミングされたこの色は、日本人の黄みがかった肌の色を美しく見せるといわれ、すさまじい人気を集めた。丸の内のオフィス街で人気に火がついたことから、首都圏のOL向け情報誌「Hanako」(マガジンハウス)に「丸の内ピンク」と命名されたこの色は、やがて全国を制覇していく。フューシャピンクの売れ筋は、圧倒的にイヴ・サンロー・フンの19番とクリスチャン・ディオールの475番に集中していた。高級な外資系メーカーの商品が受けたという事実はパズルの時代にふさわしい。口紅で、特定の品番だけに女性が群がったのは後にも先にもこの2つだけ。日本の化粧品業界史上、特筆すべき大ヒット商品である。フューシャピンクが爆発的な人気を得る一方で、バブル経済末期には真っ赤な口紅が台頭した。人気の引き金を引いたのは87年に来日した歌手のマドンナ、大衆化したのは資生堂が今井美樹を起用した88年の春のキャンペーン「ほら、似合うライブリップの赤」だ。真っ赤に彩られた口を大きく開けて笑う今井美樹の笑顔は、女性たちを深紅の口紅へと駆り立てた。ボディコンファッション、ワンレングスの長い髪とともに、赤い唇はバブル末期の象徴的なファッションと化したのだった。
価値観の変化で見過ごすことかできないのは、死生観の変化である。現代では、死はタブーとされる。死に対するいたずらなまでの恐怖感がある。これは戦後の日本人がもつ特有の現象かもしれない。戦後、日本人は日常生活の中で死を迎えることは少なくなった。戦前は医療が現在ほど発達していなかったこともあり、家で自然に死を迎えていた。もちろん現在では治療回復が期待できる病状でも、回復することなく死を迎えるということが多々あった。しかし、今の延命治療にみられる、死なせないための医療と比べるとかなり自然な死が多かったように思う。昔の遺体と今の遺体を比べると、昔の遺体は痩せ、枯れるようであったのに対し、今の遺体は末期の治療による点滴を施され、栄養過多でぶよぶよ状態である。だから今の遺体のほうが腐敗が早く進行する。